みぞろ池灸院について

みぞろ池鍼灸院について|治療院紹介

概 要
治療院名 みぞろ池鍼灸院
院長名 瀧 まや
所在地

〒603-8041 京都市北区上賀茂ケシ山1(深泥ヶ池北畔)

電話 075-701-8171((株)阪村研究所)
FAX 075-701-8172
症状貼付点の問合せ 月~金10:00~16:00
定休日 土、日、祝
成り立ち

昭和5年(1930)京都市下京区仏光寺高倉から深泥ヶ池北畔に移り「みぞろ池灸院」を阪村義一(明治40年~昭和47)が開院
当時の灸は直接火が皮膚に達する直灸がほとんどで、更に強い打膿灸や焦灼灸が多く、火傷跡のある人々が多く見受けられた。 しかし阪村義一が師事した医師、青地正徳先生はほとんど熱さを感じない艾をやわらかくもみ温度をあげないようにした上に、糸状灸(シジョウキュウ)と云われる太さ1mmほどの太さの艾で更に火が皮膚に達する前に消す七分灸で多くの症状に対処しておられたことより『快く感じる弱刺激に有効な症状が多いこと』に焦点をあて弱刺激を中心とした治療法を行った。

昭和初期から戦前の不況時に鍼灸振興会として研究し出版、更に弱刺激の有効性の知識が粒鍼製造へと繋がった。糸状灸を行った後に粒鍼を貼付する施術方法を行った。戦後復興期には粒鍼(ささない鍼)購買希望者が増えた。

戦前から戦後の10数年間は食糧不足での疾病が多く、鍼灸治療の対象は結核や小児の夜泣き等など体力低下が原因となる症例が多かったが、生活の変化と共に、精神疾患、消化器科免疫に関係する諸症状へと移っていった。

昭和63年(1988)一時閉院状態だった「みぞろ池灸院」を「みぞろ池鍼灸院」と名称変更し阪村道子(先代との続柄嫁)が再開『快く感じる弱刺激に有効な症状が多いこと』に焦点をあてた先代の治療法を主軸に現代疾患と向き合う個別療法を行う。主に個々の生きる希望を見つけ活力ある生涯現役を追求した治療方針を都度立て、通院終了後の身体との向き合い方を伝える。(食の調理法、軽微な運動方法、粒鍼の貼付方法)

平成11年(1999)瀧まや(先代との続柄孫娘)明治東洋医学院専門学校鍼灸学科卒業後、(株)阪村研究所入社後併設治療院にて、身体の特性・現代疾患と身体との向き合い方、皮膚刺激治療を実体験も合わせて研究学び中。

沿 革
昭和3年 みぞろ池灸院は昭和3年に京都市中心部にて『灸院』として開業。
昭和8年 当時子供に多い喘息、疳虫、ひきつけや結核等の治療を中心に行う。
小児には弱い刺激で十分有効とし出来るかぎり小さく又皮膚に達する前に火を消す灸を中心とした。
昔の「お灸はできるだけ大きな艾(もぐさ)で熱さを我慢するから効く」、「按摩は強く揉まないと治らない」というような強い刺激が良く効くと信じる人が多かった時に、弊院ではできるだけ小さく、また、感じられる最小の刺激で更に苦痛を伴わないものが治病には有効であると長年の経験から生み出した手技を利用してきた。 02
写真は昭和20年ごろのみぞろ池灸院
昭和38年 生理学者等の現在の科学では、自律神経系では病気からの回復には副交感神経の働きで分泌されるホルモンが主に作用するために癒しが必要なことなどが判っています。
当時は経験豊かな治療師が微弱刺激をすることが多かったのだが、それは経験の結果だったのである。
先代阪村義一(明治40年~昭和47年)は経験で知った微弱刺激手法から粒鍼ささない鍼のような絆創膏で固定する治療具の有効性に着目して商品化した。
昭和40年 当時は我々開発側の人間も粒鍼ささない鍼の作用、効能に懐疑的な部分が多くあったがその後、顧客の反応やその裏付けについては「皮膚知覚」「刺激伝達のメカニズム」「神経根や脊髄や中枢・脳の働き」との関連性についての研究や実験から粒鍼ささない鍼には意外に多くの長所があることが判ってきた。 03
写真は昭和20年ごろのみぞろ池灸院